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Make Your Ascent 15の訳文

私たちは全員がそれぞれ創造的である。だが、特定の人々だけが創造的だという考えで、私たちは大きな制約を自分自身に課している。絵を描いたり、本を書いたり、作曲したり、楽器を演奏したりする能力や、他のいくつかの芸術の追求においての優秀さのため、私たちはこれらの人々を「才能を与えられた」とか「才能がある」と呼ぶ。不幸なことに、この考え方をする時、もし私たちに能力や、画家、彫刻家、詩人の好みが欠如していたならば、私たちは創造的でないのだと信じてしまうのだ。私たちは自分自身を職業的な芸術家と比較して、美術館、出版社、音楽バンド、オーケストラの基準には達していないと決めてしまうかもしれない。フルートや絵の練習を続けなかったり、十分な芸術の学位で卒業しなかったからと、私たちは「芸術家の特質」を子供の時には持っているが、十分には再経験できない、素晴らしい能力だとみなしがちだ。
私たちは、少数の特別な個人が、ミューズに才能を与えられたのだと言われる。私たちの残りは、芸術の消費者とだけ運命づけられている。私たちは、家を他の人々の絵で飾ったり、他の人々の歌をステレオで流したり、他の人々が出版した日記、詩集、物語を読むだろう。ある漫画雑誌のなかで、教授が落胆した生徒に、「君が怠惰で、才能のない敗者だという事実を早く直視すればするほど、より良い状態になれるだろう」と言っていたように。
あなたは子供のときにしたフィンガーペインティンや、クレヨンで描いた絵を覚えているだろうか。そして、それらを作っているときの静かで、満足な楽しさを覚えているだろうか。私たちのほぼ全員が子供のときに想像の精神を受け入れる、生き生きとした視点を持った芸術家であったことを思い出せるだろう。発育期に、心が専門家と素人、創造的と非創造的という観念に条件づけられる前は、私たちは、自己表現の楽しさに夢中になり、想像上の友人と遊んだり、木々、ピエロ、虹の絵を描いたり、独り言を言うことや、粘土の恐竜を作ったり、タンバリンをたたいたり、振ったり、人形の家を飾ったり、また、裏庭でジャングル探険をした。もはや少年や少女ではないという単純な理由だけで、私たちは、自分自身に対してこの魔法を否定するべきなのだろうか。
自己表現は私たちの生まれつきの権利であり、子供のときに経験した美と神秘に再びつながる自然な方法だ。この生得権を取り戻すために、私たちはただ、職業的な質の成果をあげたかどうかを気にすることなく、自意識を抑制し、自分自身を創造的な芸術に浸すことが必要だ。「神はまったく別な芸術家だ」とピカソは言った。「神はキリン、象、猫を創り出した。彼は実在する方法を持っていなかった。ただ他の物ごとを試し続けた」
本当の目標は、創造的に生きることなのだ。

Special Thanks:しゅーじ
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ぷろふぃ~る

Illyas

Author:Illyas
他愛もないことをダラダラ書き連ねていきます
(´∀`*)
学校のノート代わりになるときが多いかなぁ

最近マイクラは放置気味。
バージョン上がっても、昔作った世界から抜けられない。


願わくは 桜の下に あらまほし 我が後世願ふ 心ぞあらば



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